日記・コラム・つぶやき

2010年3月20日 (土)

ハードが完璧でもソフトがダメなら全てダメ?

 別人の検体と取り違えるという信じられない初歩的ミスで、窃盗事件の犯人として全く関係の無い人の家を家宅捜査し、その人を任意聴取してしまうという警察の失態が明るみになった。

 ことの発端は、飲食店での置き引き事件。犯人とみられる者の遺留物からDNAを採取し鑑定した。そのDNAが、警察庁が運用するDNA型データベースの中の一つと一致した。一致した男性を窃盗容疑で・・・ということだ。ところが、その男性のDNAを改めて採取・鑑定したところ、データベース内の方のものとは別のものであることが判明したのだ。

 警察庁では、犯罪現場に容疑者が残したとみられる遺留物などから採取されたDNAの型をデータベースに登録し、容易かつ迅速に検索できるシステムの運用を、2004年12月から開始している。
 今回のことでわかったのは、その登録の際、資料(記録)を別の人間のものとして登録してしまっていたということ。まったくバカみたいなミスなのだが、それをやってしまうのが人間でもある。だからこそ、どんなに優れたシステムだろうが機械だろうが、完璧ということはあり得ないのだ。

 かつて、原発を国内に作るという話になったとき、その危険性について記者が担当大臣に質問した。すると、その大臣は、「コンピューターが管理するんだから、事故が起きるわけないじゃないか!」と言い放った。機械などハードを使うのが人間というソフトで、その人間は、たまに「そんなバカな!」と言われるような単純ミスをしたり、ついうっかりしたり、欲望に負けてやってはいけないことをやらかしたりするものなのだ。
 そんなこと、今さらオレが言わなくても、まともに義務教育を受けている人間なら誰もがわかっていることだろう。しかし、大臣ともなった人でさえも、そういうオバカなことを平気で記者団の前で言うのである。

 こういう初歩的な人為的なミスが大きな問題を引き起こすというのは、警察に限らずどの分野でも同じく起き得るし、起きている。問題は、そういうミスやトラブルを活かすことだ。教訓とできるかどうかだが、上述したように、この国の権力を持つ者たちはどういうわけか教訓を教訓として活かすだけの頭脳を持ち合わせていない人が圧倒的に多い。よって、何度も何度も同じようなミスをし、人々に迷惑をかけ、ときには人命を奪い、社会全体の安心感を損なう結果をもたらしている。
 ミスをしたのは担当者であったり、末端の作業員だったりするが、いったん起きた事故などを教訓として次の安全や安心につなげられるかどうかは、その組織の幹部や権力を持つ者たちの行動如何だ。大企業や公的機関において、何度も同じようなミスが繰り返されることが多いとオレは感じているが、それはとりもなおさず、管理側に立つ者たちの馬鹿さ加減にあるとしか他に考えられない。しかし、悪いのはその者たちだけではない。理不尽な行為が社内や職場内で行なわれていても、保身から見て見ぬふりをしている下っ端の社員や職員たちにも責任の半分はあると言える。

 世の中から、こういったミスや事故をなくそうと思うのなら、先ずは我々庶民・一般人・大衆と言われる「普通」の人たちが勇気を出して、目の前に存在する「おかしなこと」を「これはおかしい!」と声を大にして叫ぶことだ。また、たとえ法律違反でなくても、それをやったら誰かの迷惑になると思うような規則違反を決してやらないことと、平気で規則違反をして社会の安全を低下させているような輩に対して注意し非難することだと、オレは思うのだが・・・。

参考サイト:
神奈川県警のDNA誤情報:初歩的な人為ミスか データ延べ10万人分登録 - 毎日jp(毎日新聞).
DNAデータ誤情報 別人の男性に逮捕状(東京新聞ウェブサイト記事)

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2010年3月13日 (土)

「アメリカ人ウソつくが、ネットはウソつかない」

 ネットもウソ情報が山ほど流れているが、テレビなどマスメディアの流す情報と根本的に異なるのは、真実の情報を閲覧する側の意思で閲覧可能だというところだ。マスメディアは、自分たちに都合の悪い情報は流さないし、ときには事実をねじ曲げて報道したり、特定の誰かの利益のためにウソ八百の情報操作を行ない続けることがある。
 たとえば、トヨタのリコール問題では、アメリカ大手報道機関であるABCが、トヨタ車の電子制御装置が欠陥であると捏造する報道をした。
 そういう一過性の事故や事件でなく、たぶん未来永劫ずっと我々の生活や健康もしかしたら存続自体に大きな影響を与えるであろうところの問題においてもウソや捏造、あるいは意図的な情報隠しなども行なわれている。
 原子力発電に関しては、いろんな理由から、マスメディアが事実を報じることは間違ってもない。真実を述べる者は、徹底的な圧力をかけられ、社会的に抹殺されることがあるし、命の危険さえ生じる。実際、電力関係における真実を追求したジャーナリストで、不審死を遂げた者は、オレの知る範囲だけで3人いる。オレも命が惜しいから、同和と電力に関する取材はしないし、たまに真実を知る機会があっても、具体的なことは絶対に表に出さない。しかし、きっこ氏は本人のサイトでかなり突っ込んだ情報を開示している。バックに誰がいるかしらないが、きっこ氏というのはよほど肝っ玉の座った人のようだ。まあ、きっこ氏がいきなりこの世から葬り去られることはないだろうが、せいぜい気をつけてくださいと、余計なお世話ながらオレは言わずにいられない。

参考ニュース:「米ABC、映像操作認める=トヨタの電子装置欠陥報道で」
記事内でとりあげた『きっこの日記』の記事:「原発の真実」(2010年3月11日記事)

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2010年3月11日 (木)

国民総バカ化計画、目的達成さる!?

 大阪市が市職員を対象とする職務倫理規定案をまとめたが、その内容たるやまるで小学校か中学校の校則である。
 「明るい染髪や入れ墨、派手なピアス・ネックレスの着用を禁止」や「不必要な私物の持ち込み(の禁止)」などだが、これってどこかで聞いた記憶があると思い、脳みその中の引き出しを探っていたら、あったあった! ちょっと前に栃木県教育委員会が県内の教職員向けに作成した“教員行動規則”(正式名称は異なる)だ。こちらの方は、大阪市のものよりさらに“低学年向け”の内容となっていて、確かこのブログで批判したはずだ。

 大阪市のものも栃木県のものも、まさに「校則」並みで、到底大人を対象にしたものとは思えない。
 しかし、「ここまでしなければいけないほどの非常事態」(大阪市環境局)となってしまっているのが現状なのだ。
 そういう人を小馬鹿にしたような規則・規定を改めて提示しなければならないほど、この国の社会は幼児化していると言えるのではないだろうか。
 確かに、オレがこの数年間に経験してきた幾つかの職場でも、地位や立場、年齢や学歴に関係なく「大人」とは呼ぶに恥ずかしい言動をとる者がやたらと目立った。目立ったと書いたら誤解が生じるから言いなおすと、そうでない人の方が少ない。たとえば、もちろん、ほとんどの人間が非常識な言動をとっているというわけではないが、ある人がかなり非常識な行動をとっても、それがどれほど非常識なことであるかがわからないのだ。せいぜいが、感情的にイヤな気がするからやめてほしいと言う程度なのだ。
 また、「モンスターペアレンツ」を始めとする「モンスター○○」というのが増えているようにも感じられるし、様々な事件において、犯人の動機がまさに幼児的だというようなものも多くなってきたような気がする。

 「国民総バカ化計画」なるものが本当にあるのかどうかは知らないが、あるとしたら、それはめでたく目的を達成したと言えるだろう。太平洋を超えた某国の爺様が、このニュースを聞いてほくそ笑んでいるのを想像するのは、オレの妄想癖のなせるわざであろうか・・・。

 この問題、(規則・規律をされる側の)当人たちが自分たちの“幼児化”(もしくは精神年齢低下化)を自覚できないから始末が悪い。根本的問題解決が可能かどうかわからないが、“とりあえず”の手段としては、今回のこの件のように、規則・規律の見直しと周知徹底ぐらいしか他に方法がないのかもしれない。しかしそれではこの国に未来は無いのである。

リンク: 不祥事続き大阪市環境局、校則並み「ご法度」(読売新聞) - Yahoo!ニュース.

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2010年2月21日 (日)

日本水泳連盟の理事たちにもの申す!

 日本水泳連盟が競泳日本代表選手に対して「茶髪、ピアス、華美なネイルは禁止」などの行動規範を適用すると言い出した。
 日本水泳連盟っていうところは自衛隊の下部組織かなんかですか? それとも、海外に戦争をしに行く人たちの集まりですか?

 こんな時代錯誤の行動規範をよくもまあ堂々と言えたもんだ! これって、選手たちの表現の自由を束縛するってことだよ。大げさでなく、これは裁判ものだよ。
 華美なネイルや茶髪がダメっていうのなら、シンクロナイズドスイミングなんてもん誰もやれなくなるんじゃないの? 
 日本代表チームの統一ユニフォームって、どこかの有名デザイナーに頼んでるんじゃなかったっけ? あれはなぜ? 没個性的なデザインのユニフォームにするために頼んでるわけ?

 戦時下の日本じゃあるまいし、なぜ茶髪やピアスを禁止せにゃならんのですか? それをやってる選手たちって代表にふさわしくないような格好をしている人たちばかりなんすか? 
 日本代表だから・・・という理由はおかしいよ。なぜなら、海外の人たちからこれまで一度たりとも日本選手の格好について非難されたり、「ふさわしくない」なんて言われたりしたことないでしょう? たぶん、このところの個性的な日本選手の登場によって、日本人に対するイメージは逆に上昇したと思うよ。「没個性的」と非難されることはある日本人だけど、その逆は聞いたことないでしょう?

 

リンク: シンクロ選手らも「茶髪禁止」=日本水連(時事通信) - Yahoo!ニュース.

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2010年2月17日 (水)

The Beatles はエリザベス女王の前でも“オレ流”を通した

 オレは髪を染めるということが大嫌いだし、ピアスも嫌いだ。自分の肉体を傷つけ(あるいは弱らせ)てまで己の外見を着飾ろうとするその精神が嫌いなのだ。なぜ生まれついた黒色の髪やそのままの耳ではいけないのか? どうしてわざわざあの美しい黒髪を染めたり、醜くなるだけで金属アレルギーの危険があるピアスを肉体の一部に孔をあけてまでやるのか、オレには全く理解できない。そんなに己の肉体が嫌いなのか? そんなに“裸の自分”に自信が持てないのか? 

 オレの母親はつねづね「男は一歩外へ出たら七人の敵がいると思え」と言っていた。そんな母親からしたら、腰パンなんてもんは言語道断だろう。七人の敵はともかく、イザってときに全速力で走れないズボンの履き方というのは、やはりマズいよ。女性のハイヒールは、脚を長く美しく見せる効果があるらしいが、腰パンは脚を短く見せるし、男の見たくもない下着まで見せることになるから、見せられる方としては非常に不愉快だ。

 ところで、もう40年ほど昔のことになるが、かのザ・ビートルズが来日した。あの当時、彼らがやっていた「マッシュルームカット」なるものは、日本の大人たちにはえらい不評で、「なんだあの女みたいな長い髪は!」などとおとっつぁんたちが怒っていた。しかし、当時もまたとんでもなくみっともないズボンが流行していたようだ。オレの父親の若かりしころの写真を見たことがあるが、ダボダボの超カッコ悪いズボンを履いている。また、オレ自身も、高校生のころはフトモモのところがやたらと広くて裾が細いという変なスタイルの学生ズボンを履いていた。女子はと言うと、くるぶしまであるような長いスカートが流行してたっけ・・・。
 
 はやりのファッションなんてそんなもんだと思う。その時には大人たちが眉をひそめるようなファッションこそが若い世代に受けるし、大人たちに嫌悪されるようなファッションであるからこそ身につける意味があるのだろう。要するに、反抗心の現れみたいなところがあるのだと思う。

 ビートルズはエリザベス女王から勲章をもらったが、授与されるときだってあのままのスタイルを通した。授与式の後の記者会見では、「女王の印象は?」と尋ねられたジョン・レノン(だったと思う)が「気のいいオバサンって感じだったよ」(だったと思うww)と、これまた彼らしいスタイルを通した。
 
 国母選手が反権力とか反体制とかってことを意識してファッションを選択しているとは思わない(思えない)し、そう意識しているのであれば、ああいう見苦しいスタイルではなく、日本選手団のユニホームそのものを着なきゃいいわけだし、オリンピックへの出場を辞退するという手もある。だから、彼のあの格好というのは、やはりみんなから非難されても仕方がない。しかし、非難する方も、テレビの画面を観て「なんて礼儀知らずなヤツなんだ」と家族と語っている程度で済ませるべきで、全日本スキー連盟だかなんだかに抗議の電話をするのは筋違いである。全日本スキー連盟にどんな落ち度があるというのか? 連盟は別に国母選手の思想や価値観や道徳心などまで管理しているのではないし、管理しているとしたら問題である。連盟はただ単に「スノーボードがうまいやつ」「大会で良い成績を出しているやつ」として国母選手をオリンピック代表に選んだにすぎない。オリンピック代表の選考基準に「道徳心」だの「礼儀正しさ」なんてあったら、それこそ大問題だ。
 「プライベートな場面ならともかく、国の代表として行ったわけだから・・・」という意見があるが、じゃあ、どこまでが良くてどこからがダメなのかの基準をはっきりと提示することができるのか? できるわけがない。
 時(時代)や場所やそのときの状況などによってコロコロ変わる基準など、守らないヤツがいても当然だろう。特にファッションなんてものは、たかだか10年ほどで「絶対ダメ」が「センスいいじゃん」に変わってしまう。髪を染めるということも、20年ほど前までは「その業界の女性」だけが行なうものであったはずだ。それが今ではいい年こいたオッサンまでもが染髪しているし、それで堂々とテレビに出ている者だっているが、誰も問題視しないではないか。「園遊会」(天皇、皇后が主催する野外での社交会)に髪を染めたヤツは出席しないか? エグザイルとかいう歌手(団体)は、天皇の前で歌ったとき、それまでの「ヤクザ・ファッション」を少し手直ししたらしいが、園遊会に招かれた人たちはみんな染髪した髪を元の色に戻しているか? 要するに、その程度のものなのだ。日本中が騒ぐほどのものなのだろうか?

 ちなみに、ちょっと前まで甲子園(高校野球大会)では「長髪」が御法度だった。みんな剃りあげんばかりの丸刈りで出場していた。しかし、眉を剃りあげ、それこそ腰パンなんぞよりはるかにみっともないカッコで出場している選手はいた(いる)。国ではなく、県レベルだが、立派な地域の代表である。その俗悪なカッコのまま宿舎入りだけでなく、試合にも出場していた。あれがなんで問題視されないのか、オレには不思議でならない。

※文中に意味が正反対になってしまう誤字がありましたので修正しました(2月18日)

 

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2010年2月 5日 (金)

相撲協会の一連の醜態を笑える人間がどれほどいるのか

 朝青龍にまつわる一連のゴタゴタとそれに対応して醜態をさらしまくった相撲協会、さらに貴乃花親方の理事参選時における体制派親方たちのイヤラシイ言動の数々、これらは大相撲という特殊な世界の中だけの特殊なことのように考えている人は多いと思う。
 しかし、冷静に見つめると、日本全体の社会における醜い面が非常に良く似ていることに気づかされる。

 「勝てば官軍」ということで、国技と謳っているにもかかわらず、外国からガタイが良くて運動能力に優れた若者を連れてきて土俵に上げる。それでもってインスタントに部屋から幕内力士を輩出する。
 これでは、金を持った部屋や一門だけが「官軍」となってしまうし、実際にそうなっている。「官軍」となった部屋はますます繁盛し、さらなる外国人を・・・という展開。
 ところが、日本とは文化も習慣も異なる国から連れてきた若者の中には、日本の「常識」からは考えられないような言動を行なう者もいる。そりゃあ当然と言えば当然だろう。世界の中で一番の“草食系”だと言われるような日本において、狩猟民族の若者で、しかも格闘技なんてものをやっている若者がたかだか数年で故郷の同世代の若者の数十倍の収入を得ることができるようになり周囲からもチヤホヤされるのだ。これで「おとなしくしていろ」という方が無理だ。

 さて、外国人の利点だけを都合よく利用し、その行ないが世間から批判されるようになると途端に引退だのクビだのということにしてしまう。
 そのくせ、自分たちのしでかしたとんでもない行為に関してはしらんぷりを決め込む。そんな金儲け主義で事なかれ主義をどうにか改革しようと理事選に立候補した貴乃花親方を、実に汚い手口で排除しようとした(どんなに汚いことをやったかについては、スポーツ新聞などのニュース過去ログを検索してみると良い)。

 相撲の世界だけでなく、一般社会でも、各分野の企業が、安い賃金でコキつかえることをいいことに、外国から労働者を引っ張ってくる。彼らの中で都合の悪い言動をする者はすぐに辞めさせるし、辞めることをちらつかせておとなしくさせる。景気が悪くなり収益が下がると途端に彼らを切り捨てる。
 また、日本人を雇った場合にも、労働組合がなければ、企業側は労働基準法など全く無視して「生かさず殺さず」的なやり方で労働者たちをコキ使う。問題が起きれば、なんとか表沙汰にならないように金を積み、圧力をかけて、そのことをウヤムヤにしたり闇から闇に葬り去ろうとする。表沙汰になっても、決してトップや役職の者たちは責任をとらない。とったとしても、裏でこっそりと下請け会社の相談役なんぞにおさまったりして、決して損をしないようにしている。

 企業ばかりではない。個人個人にしても同じだ。利益を得るためなら、どんなことだってやる。やらないのは、それをやると社会的に不利益となる場合だ。だから、法律をおおっぴらに破ることはしないが、破っても誰にもバレないとわかるか、誰かに責任をおしつけることが確実に可能だということになると、どんなに反道徳的なこともやる。他人から非難されなければ、また、相手が反撃してこないとわかると、どんなに他人の迷惑になることだって平気で行なう。

 

 話は変わるが、オレは社会の底辺の仕事と言われるような仕事や職場の幾つかで働いた経験がある。ライター稼業が開店休業状態になった3年前からは、再びそのような職場でアルバイトをしている。そこでの経験から、世の中の多くの人たちは、自分より少しでも立場の低い者たちを差別し見下すということがわかった。社会の底辺で働く者たちの中においても、その傾向は強い。道路工事現場で働く土方は、そこで交通誘導を行なうガードマン(警備員)をひたすらコキ使うし、ときにはウップン晴らしの対象として扱われることもある。観光地のホテルの厨房で働く板前の多くは、洗い場(皿洗い)で働く者たちを見下し、挨拶を返すことさえせずに、ちょっとしたことでセクハラやパワハラを行なう。もちろん、こういった職場ばかりというわけではないし、土木作業員や料理人の中にも立派な人格を備えた人はたくさんいるだろう。でも、少なくともオレの経験から言うと、そういったこと(見下したり、ハラスメントを行なう作業員や料理人が多いということ)は決して「稀」なことではない。

 人類の歴史というものを調べてみると、世の中が(良い方に)変化する場合には、それは徐々にではなくていきなりである。あるとき突如として変化する。つまり、人間というのは、ある特別凄い人間が出てきてそれまでのことをぶっ壊したり、なにかとんでもないことが起きたりしない限り、それまでのやり方や考え方などを大きく変えることはしないようなのだ。
 これは、つまり、人間ひとり一人が学習して自らの意思で精神性の向上を行なうことは無いということを意味する。スーパースターや大事件といった「外部」から強制的もしくは、そうせざるを得ないような場合のみ、しぶしぶと変えるのだ。いや、おそらくは、変え得た者のみが変化後の世界で生きてゆけるのだろう。変化しなかった(できなかった)者たちは生き残ることができなかっただけなのかもしれない。
 今現在、この人間社会は、大転換期にさしかかっている。そろそろスーパースターがお出ましになるか、大事が起きるはずだ・・・とオレは期待をこめて予想している。まあ、既に大事の兆しみたいな事件は起きてきてはいるが・・・。
 相撲協会が改革されるとしたら、そのときは世の中全体も改革されていることだろう。また、貴乃花親方の理事選立候補について「若すぎる」だの「どうせできっこない」だの「まだ幕内力士さえ育てていないのに」などという言葉で批判した人々は、改革後の社会には生き残っていないだろうとオレは思うのである。

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2010年1月27日 (水)

亀井金融相もまた冷静な判断能力がないようだ

 亀井金融相(亀井静香、国民新党代表、73歳)という人を少し見直した。「今の国民は相当数が大脳皮質で冷静に判断する能力をお持ちでない。新聞が『けしからん』と書いたりすると、その人(小沢氏)が何を言っても耳を貸さない」と衛星放送の番組で述べたからだ。
 亀井氏の述べたことは理解できるが、ちょっとばかし事実に反する。「冷静に判断する能力」を持っていないのではなく、「冷静あってもなくても、まっとうに判断する能力すら」と言わなくてはいけないでしょうが(笑)。
 亀井氏がそういう考えを持っているのはいいが、そのことを公の場で口にしたのは、冷静な判断能力に欠けているからでしょうな。 

リンク: 亀井氏「国民の相当数、冷静な判断能力ない」(読売新聞) - Yahoo!ニュース.

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2010年1月26日 (火)

遊びで動物を殺すのは良くて、食べるために殺すのがダメなのはなぜだ!

 「かわいい」とか「頭がいい」とかいう主観的な理由が、ある生き物を食うために殺害してはいけないという根拠には決してなり得ない。これが理解できない輩を、オレは「頭が悪いヤツ」と見なすことにしている。

 さて、中国では犬や猫を食べる食文化あって、日本ではイルカを食す食文化がある。絶滅危惧種ではない動物を、意図的に残虐な殺し方をするわけではなく殺害して食しても、それが第三者から非難される筋合いは全くない。
 ところが、野蛮だとかなんだとかという理由をあげて、日本や中国を非難する人たちがいる。

 野蛮とは一体なんだろう? 勝手に他人の土地に踏み込んでいって、そこの人たちが神聖視している野牛を、皮だけをとる目的で殺しまくって、皮を剥いで死体の山をそこに放置して去ってゆく・・・こういうのを野蛮というのではないか(映画『ダンス・ウィズ・ウルヴス』参照)。

 ある動物を撃ち殺すことに快感を得ることができる変態が、散弾銃という残虐この上ない殺傷器で鳥の群れに鉛の粒を撃ち込んだり、鹿の頭を撃ち抜いたり・・・こういうのを残虐というのではないか。遊びのために、あるいは仲間に自慢したいために、または殺害すること自体に快感が得られるから、そのために動物を殺害するという行為が非難されないのはなぜだろう? 某国のとある首相は、鴨猟の趣味があり、それを行なったことがニュースで報じられた。しかし、そのニュースは「首相が休日を楽しんだ」ということだけを伝え、非難の「ひ」の字も言わなかった。
 同じように、動物を銃で撃ち殺す人間であっても、食うために行なうのであれば、それは非難の対象にはならない。猟師が仕事として鹿や熊を撃っても、誰が文句を言えるだろう。畑を荒らすイノシシを罠を仕掛けて捕らえ、捕らえたイノシシを「ボタン鍋」にして食ったとしても、その農民を誰が非難できようか。

 また、上記の「犬や猫を食べることに反対」とする人たちのウェブサイトには、必ずやそれらの殺害された写真が貼り付けられてある。血だらけで死んでいる動物や頭が切り取られた動物や腹を割かれた動物というものは、見慣れた人間以外には「残虐に殺されている」というようにしか見えない。それは、犬や猫でなく、鶏や豚や牛であっても同じであって、なぜ鶏や豚や牛の死体写真は掲載しないのだろう? マクドナルドのハンバーガーは牛肉100%であると自慢されているが、その牛肉は、「残虐」に殺されていないのだろうか? 苦痛を与えない殺し方をしていたとしても、殺されて腹を割かれた牛の写真があったら、やはり「残虐な殺され方をされた」と、誰もが思うことだろう。

 金持ちの変態たちの楽しみのためには動物を撃ち殺してもOKで、食うために殺すのはダメ。しかも、牛や豚や鶏はOKで、イルカや鯨や犬や猫はダメ。珍しい動物の毛皮を剥いで肉を捨てるのはOKで、どこにでもいる動物の肉を食うのはダメ・・・その基準はどこにあるんだろう? 欧米の人間たちの主観だけでしょ? 違いますか?

 もし、犬や猫やイルカの肉を食べることがダメだと言うのであれば、毛皮目的そして趣味としての猟のために動物を殺害することの方を先に禁止すべきだ!
 犬や猫やイルカを食べる人間や民族が非難されて当然というのなら、(それを生業とするのではない)趣味として猟をする者たちや、毛皮を身にまとっている者たちは死刑だ!



 

リンク: 中国で犬肉・猫肉の食用禁止へ―動物虐待禁止法案に盛り込む(サーチナ) - Yahoo!ニュース.

この記事の「続き」に、リンク先の記事文章を転載しています。

続きを読む "遊びで動物を殺すのは良くて、食べるために殺すのがダメなのはなぜだ!"

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2009年12月10日 (木)

ヘタな漫才より笑わせてくれる昨今の政界周辺の人たち

 予想通りと言えば言えなくもないが、民主党の議員さんたちの頭の悪さにはほとほとまいってしまう。笑っちゃうほどひどいね。笑えないほどひどい自民党議員さんたちよりはマシだけどね。
 なにも政治家たちだけでなく、ノーベル賞とかってわけわからん賞をもらった日本人の方々の学者バカぶりにも大いに笑ってしまった。さすがと言うか、なんと言うか、ある一つのことだけに秀でる者は他のことはマルデダメってのがよーくわかりましたよ。
 あんな支離滅裂な主張の会見でも、「立派な学者センセーがそう言うんだから、民主のやってることは間違ってるに違いない」って思ってしまうさらなる馬鹿民が大勢いるんだろうなぁ(溜め息)。

 でも、そんなこんなのお笑いショーのおかげで、福島瑞穂氏のまともさが際立つことになっている様子。
 彼女のことを「まとも」って言わなくちゃいけないこと自体からして滑稽なのであって、それほど他の皆様方がまともじゃないってことだ(笑)。

 「仕分け」についても、「やりすぎ」だとかなんだとかって前に、前政権時代までにやってきた数々の違法行為(税金の横領、もしくは税金の横流し)を糾弾すべきでしょうが。民主のセンセー様たちも、見に覚えがあるもんだから、「無駄」なんて言葉でごまかしてる。ありゃあ、どう見たって法律違反だし泥棒以外のナニモノでもない。
 たとえば、文科省の例の電子黒板だっけ? ありゃなんですか? なんであんなもんに億という開発費が必要なの? そもそもあれって必要なの? これまでの黒板より(教育的効果という点で)はるかに優れた点でもあるわけ? 要するに、あれを開発・製作する企業に文科省の役人が賄賂もらいたかったのと、天下り先の研究所かなんかに金を注ぎ込みたかったというだけの話でしょうが。 あんな「科学と学習」の付録に毛の生えたくらいのものに大金を注ぎ込み、それが限られた学校に必要不充分な数しか設置されない・・・これを犯罪と呼ばずしてなんと呼ぶ! 過去3年間に文科相になったやつらはみんな市中引き回しの上、打ち首だ! とまでは言わないが、私財没収して「あしなが育英会」に回すくらいのことしてもいいと思うけどね。

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2009年11月17日 (火)

JR東日本、こんな謝罪をしている限り、過ちを繰り返すだろう

 千葉県千葉市緑区のJR鎌取駅で、介助犬と暮らす男性の新幹線の乗車券を(その男性の妻が)買おうとしたら、「介助犬(の同伴)は認めていない。他の交通機関を利用してほしい」と断わられてしまったそうだ。

 「身体障害者補助犬法」(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/hojyoken/html/a01.html)が施行されたのが平成14年(介助犬の部分についての項目などについての施行は平成15年)。1年未満ならいざ知らず、もう何年も経っているのだから、こうしたこと(たとえば犬を同伴させて乗車しようとする客がいたときなど)場合への対処マニュアルなんてものは、どんな田舎の駅だろうがちゃんと周知徹底されているはずだし、そうするのが元国鉄である日本を代表する鉄道会社としての務めであろう。
 応対した鎌取駅の窓口職員も、もちろん責任はある。しかし、こうした際の応対の仕方の周知徹底に不備のあった会社の方に、より重い責任があるはずだ。

 ただ、こういったことは、JR東日本という巨大な企業においては、根絶させるというのは不可能ではないか。いたしかたないと言えるかもしれないと、百歩譲って同情してあげても良い。
 ところが、毎日新聞の取材に対するJR東日本のコメントを読むと、そういう同情心が落胆と怒りの感情へと変わってしまうのだ。

ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。今後、このようなことがないよう社員教育を徹底し、再発某市に全力を尽くしたい」というコメントなのだ。その男性と奥さんに不愉快な思いをさせたわけだから、まず最初に「不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」と謝るべきだろう? ちょっとした違いのようだが、こういうところに、その謝罪する人間や組織が本当に謝罪の気持ちを持っているのかどうかがわかるのだ。本当に謝りたいというのであれば、何に対して相手が怒っているのかとか、どんなことについてお詫びしなければならないのかなどということをきちんと把握しているわけだ。だから、「誰に」とか「何に」といった子細末端のように思えるところを間違えてはいけないし、間違えるわけがないのだ。
 また、「社員教育を徹底し」というところから、その窓口職員に責任を多くをかぶせようという魂胆が見える。上述したように、これの問題点は、対応方法の周知徹底がまずかったということであって、職員個人のミスよりも、その周知徹底のやり方を間違えている会社のミスに、より大きなものがあるのだ。
 だから、「社員教育を徹底し」ではなく、「社員教育のやり方をもう一度見直して」とでもしなければいけないのだろうが、そこまできちんと問題を把握していない、もしくは理解できていないのだろうからこそ、上記したようなコメントとなったのだろう。

 どんなミスを職員がやったのかもちゃんと理解できず、そういったことを再発しないようにするための対策も全くトンチンカン・・・これでは、また似たようなミスをやってしまうのだろうな。

 日本の鉄道を代表するJR東日本という企業、すなわち、日本の会社を代表するといってもいいくらいの会社が、この程度なわけだから、弱者を本気でバックアップできるような社会がこの国に訪れるのは一体いつになることやら・・・(ため息)

リンク: <介助犬>JRが同伴拒否 受け入れ義務、職員理解せず(毎日新聞) - Yahoo!ニュース.

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